シリーズ「癌とは」-③癌が出来るメカニズム

 

癌は遺伝子の異常によって出来る?

 まずは前回のおさらいをしましょう。

 前回は癌がどんな病気か説明しました。

 「癌とは、癌細胞と呼ばれる異常な細胞が際限なく増える病気」でしたよね。

 しかしなぜこのような異常な細胞が出来てしまうのか、疑問に思ったことはありませんか?

 そこで今回は、癌細胞が生まれてくるメカニズムについてお話したいと思います。少し学術的な話になりますので、難しい話はちょっと・・・という方は飛ばしてもらっても構いません。

 まず、様々な研究から、遺伝子の異常が癌の発生に重要な役割を果たしていることが分かっています。

 しかし「遺伝子」という言葉は極めて問題が多い言葉です。

 というのも、「癌は遺伝子の異常」と聞くと、あたかも親から子に異常な遺伝子が伝わるような気がしませんか?しかし実際の所、癌細胞が持つ遺伝子異常は親から子に伝わりません(難しい言葉を使って説明すると、癌細胞における遺伝子異常は基本的に体細胞に発生した異常であるため子孫に伝わることはありません)。

 このように「遺伝子」という言葉は一人歩きをしがちで、様々な誤解のもととなっています。そもそもがあまり本質的な言葉ではありません。

 そこで以降、本シリーズは「遺伝子」という言葉は使わないことにしようと思います。

遺伝子とは「細胞の設計図」のこと

 では遺伝子の代わりに何という言葉を使うかですが、普段私たちが遺伝子と呼ぶものは必ずしも遺伝(親から子に情報を伝える)という役割を担っているわけではなく、むしろ私達自身の体の設計図としての役割が主体です。

 そこで遺伝子のことを今後は「細胞の設計図」と呼ぶことにしましょう。

 以降はこの設計図について少し詳しく説明していきます。

 私たちの体を構成する細胞は、その内部に自分自身の設計図を持っています。

 細胞の全ての活動はこの設計図に従っているため、これは非常に大切です。

 そこで設計図は破損しにくい安定な物質である「DNA」に書き込まれ、さらに細胞内の「核」と呼ばれる入れ物の中で厳重に保管されています。

 しかしいくつかの理由により、この設計図が破損してしまうことがあります。

 一例として細胞分裂の際の複製ミスが挙げられます。

 細胞が分裂する際には、設計図も複製して次代の細胞へと引き継ぐ必要があります。

 しかし設計図の情報量が膨大なため、複製の際には稀ながら間違いが生じてしまうことがあります。

 その他の例として、放射線やある種の化学物質が設計図を破損させることもありますが、設計図が破損する原因としては最初に挙げた複製ミスの頻度が圧倒的に多いと考えられています。

 実際、私たちの体を構成する細胞の数は60兆個と膨大であるため、設計図の一部が破損した細胞は毎日複数個産み出されていると考えられています。

「細胞の設計図」が破損することで癌が出来る

 このように私たちの体を構成する細胞の設計図は、細胞分裂を繰り返すと一定の頻度で破損してしまいます。

 破損が積み重なると、やがて本来の設計通りに動けなくなった細胞が現れるようになります。

 そうです。それこそが「癌細胞」のもとになります。

 ただしそう簡単に癌が発生しては、あっという間に人類は滅亡してしまうので、私たちの体にはいくつかの安全装置がついています。

 この安全装置の機能は「免疫系」の細胞などが担っています。

 これにより毎日産み出される「設計図が破損した細胞」は体から排除されます。

 しかし中には、この安全装置の眼を逃れるように、うまく設計図が書き換わった細胞が産まれてしまうことがあります。

 そうなるとこの細胞は今後どれほど設計図が破損しようと体からは排除されなくなり、どんどんと設計図が壊れていってしまいます。

 結果的に本来の機能を喪失したばかりか、異常な増殖能を獲得した細胞、癌細胞が産まれてしまうという訳です。

癌の出来やすさに関する2つの危険因子

 さて、細胞が分裂を繰り返すうちに一定の確率で癌細胞が産まれてしまうことを説明しました。

 癌は確率的に発生してくる病気であり、ありていに言えば癌になるかどうかはクジ引きのようなものです。

 たくさんのクジが入った箱を想像してみて下さい。その中に1個だけ入った外れクジが癌です。

 私たちは無意識のうちに毎日箱の中からクジを何個か引いているのです。

 つまり癌の出来やすさとは、外れクジの引きやすさと同じになります。では、どんな時に外れクジを引きやすいか考えてみましょう。

 外れクジを引きやすくなるのは以下の2つの場合です。

 一番目は単純ですが、加齢です。時間経過とともにクジを引いた総回数が増えるわけですから、年齢を重ねるほどに外れを引く可能性は増えてしまいます。

 実際、加齢は癌の危険因子のうち最大のものです。

 二番目は細胞分裂の回数が増える場合です。クジを引く頻度が増えると、外れクジを引いてしまう可能性も増えてしまうと考えて頂ければいいです。

 細胞分裂回数が多くなる主な原因は炎症です。炎症が生じると、その場所の細胞が破壊され、それを補おうと周囲の細胞が活発に分裂します。慢性的に(経時的にずっと、という意味です)炎症が持続すると、破壊と再生が繰り返された結果、設計図が傷ついた細胞が蓄積されていきます。

 慢性的な炎症の原因として、ある種の細菌やウイルス(胃に感染するヘリコバクター・ピロリ菌、肝臓に感染するB型肝炎ウイルス・C型肝炎ウイルス、子宮に感染するヒトパピローマウイルスなど)、過度な飲酒、喫煙などが知られており、いずれも明確な癌の危険因子です。

 また、体の中にはもともと他の場所よりも細胞分裂が活発な場所がいくつか存在しています。

 胃や腸などの表面にある粘膜の細胞や、骨髄にある血球の元となる細胞などは、もともと活発に分裂することが知られており、これらの臓器は他臓器よりも癌が出来やすいことが知られています。

 以上のように、「加齢」と「慢性的な炎症」が癌の危険因子として重要です。

癌になるかどうかは確率的な要素が大きい

 ここまでの説明でお分かりいただけたように、癌になるかどうかは多分に「運」の要素に左右されます。

 癌と診断された人の中には、自分のこれまでの生活習慣など、何か自分の行いが悪かったために癌になったのではないかと悩まれる方がおられます。

 しかし癌の発生は偶発的なものです。年齢とともに一定頻度で生じる細胞の設計図の損傷が、偶然ある細胞に積み重なった結果が癌なのです。

 私が思うに、癌に罹ることはある種の交通事故のようなものです。

 事故の中には普通に過ごしていても避けようのないものがあるように、どれほど気を付けていても誰もが癌になる可能性があるのです。ですから、癌になってしまったことは誰の責任でもありません。

 癌と診断されてしまった後に大事なことは、これからどうするかということではないでしょうか?

 癌になった後に、過度にご自身を責める必要はありません。

 これから病気とどうやって向き合っていくのか、どんな治療の選択肢があるのか、主治医や家族とよく相談することこそが、必要なことです。

癌になるリスクを下げる行動を

 ただし癌になる前には、癌のリスクを下げるような行動を心掛けて頂きたいと思います。

 交通事故を自分の注意だけで避けることは出来ませんが、あえて危険な運転をしたり、危険な道を走行する必要はありませんよね。安全運転を心掛けることで、事故のリスクは大きく減らせるはずです。

 同様に癌の発生を自分の注意だけで完全に避けることは出来ませんが、癌になる危険性を下げることは出来ます。

 ピロリ菌に感染しているなら除菌をする、子宮頸がんワクチンを打つ、過度な飲酒を控える、禁煙をするなどの行動は、いずれも将来癌になる危険性を減らす行動です。

 これらによってクジを引く回数を大きく減らすことができます。

まとめ

 さて、今回は少し学術的な話をしましたので、最後に簡単に内容をまとめておきます。

 私達の体を構成する細胞は、内部に自分自身の設計図を持っています(歴史的な経緯によりこの設計図は遺伝子と呼ばれますが、適切な呼称ではありません)。

 この設計図を複製する際に低頻度ながら写し間違いが生じることがあるため、何度も細胞分裂を繰り返すと設計図には損傷が蓄積していきます。

 設計図の損傷がひどくなると正常の細胞は本来の機能を喪失し、際限なく増殖することに専念する異常な細胞(癌細胞)へと変化してしまいます。

 以上が発癌のメカニズムです。

 本職の研究者の方々からみると色々と突っ込みどころのある説明とは思いますが、大まかな理解としてはこれで十分です。